それはきっと
自分のためかもしれないな
自分ではない人の姿を見て
かつての自分が蘇りました
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駅のホームにて
背中合わせになった親子の会話が耳に飛び込んできました
「理由を知りたいの」
「だから理由を知りたいの」
「さっきの繰り返しになるけど、理由を知りたいの」
何かの約束を守れなかった(であろう)お子さんに対して
ママさんがその理由をしきりにたずねているようでした
大声で怒鳴りつけたりしているわけではありませんが
次第に怒りが蓄積されていくような威圧感はありました
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(あ、ちょっと苦しいかも)
まるで自分を見ているようでした
※ここからはあくまでも私の場合ですが↓
理由を聞けないことが許せないだけではなく
そこに「自分ではどうしようもなかった」を見つけたいだけなのです
「自分が何とかできたのではないか」という可能性をつぶしておくことで
自分がその責任や罪悪感を背負いたくないから
子どもの事情は全て把握しておくべき
母親としてできることは全てやっておくべき
かつての自分はそういったものを抱えていたように思います
そんな「べき」を握りしめている私は
どんな理由があったとしても
たとえ理由を聞けていたとしても
(あ、それじゃあ仕方がないね)
そんな風に受け入れる状態ではないのです
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(あー、ずいぶん苦しい)
その苦しさの理由は
きっと完全には手放せていない「べき」だからなのかもしれません
(私にとっては「全て」の部分が不毛な「べき」なので)
目の前の不安や不満を解消することに躍起になると
目の前の子どもたちを責め立てる言葉が溢れてきます
「ね、だから言ったでしょ?」
「ね、だから〇〇でしょ?」
そう締めくくりながらも
何も解消されないまま
子どもたちの泣きじゃくる姿を
胸糞悪く眺めていたことを思い出します
(あー、とっても苦しい)
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「怒ること」(子どもたちに対しては「叱る」)は
声を荒げて相手を論破することではありません
自分のどんな「べき」があって
それは怒る必要のあることかないことか
怒ると仕分けたとしたら
どんな行動が取れるか
子どもたちに対して言えば
「どういう形でリクエストを伝えていくのか」
そこには
次からはどうして欲しいのか
どういうゴールを目指したいのか
自分なりの行動計画が必要です
場合によっては
理由を聞く必要もあるかもしれませんが
それが
本当に問題解決のためなのか
自身の不安解消のためなのか
相手に対してアクションを起こす前に
自己認識しておくことが大切だなと感じます
(私の思考のクセとして、特に)
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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