それをして一体何になるのか
その答えは
「自己満足」でした
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「〇〇というお店で購入した商品が
思っていたものと全然違っていたらしい」
「うたい文句とかなり違うじゃないの!」
「そりゃ自分も買いたくないな」
わいのわいのと話が盛り上がり
私としてはそうじゃなかったのですが
何となく言える雰囲気ではなかったし
話を合わせるのもおかしいなと思っていたので
あえてその場では黙っていました
「あのときは言えなかったけれど
私も〇〇で買ったんだけどそんなことはなかったよ」
喉の奥に詰まっていたそんな言葉を
言いたくなった頃
その情報はもうとっくに旬を過ぎていて
今はもはや必要とされていないことはわかりきっていました
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そこを蒸し返してまで
言いたくなってしまうのはなぜか
一体何が
自分をそうさせたくなっているのか
考えてみるとそれは
自分の中の正しさの押し売りで
自己満足でしかありませんでした
昔の自分であれば
そこを言わずにはいられなかった
そうではないと知ってしまったからには
正しさを知らしめずにはいられなかったような気がします
だけど
その正しさは「そのときの私にとっては」という一過性のもの
そんな風に物事を捉えられるようになってきてからは
少しずつこだわりがなくなり
(ふむ…まぁいいか)
自分の中では手放せるようになってきました
(それによりムダにイライラせずに済みます)
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色んな事情や気持ちが入り混じり
思わず自分の考えを押し通したくなるとき
何のためにそれをしようと思うのか
それはなりたい未来につながる行動か
そこに寄り道すると
大概「待てよ?」になります
「だって〇〇だもん!」
↑これは「わかって欲しい」んだろうなぁ
だけど私の「正しさ」は余計なお世話だろうなぁ
あれこれ譲らない子どもたちの口ゲンカを眺めながら
そんな風に(まぁいいか)を感じています
(週末の我が家はカオス)
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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