そんな風に感じることもあるよなぁ
当事者でないときには
静かにそう受け止めることができます
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夏休みの子どもたち
これまで学校で過ごしていた時間を
家で過ごすということは
それなりにいざこざがあるのですが
基本的には「見守る」だけど
心中穏やかではなかったり
モヤモヤとにらめっこしている自分もいます
たとえばお手伝いひとつにしても
我が家は当番制になっていて
ローテーション通りに運ぶときもあれば
イレギュラーな予定が入ったりして
それが滞ることもあります
そうなると
手の空いている大人や
「代わってもいいよ」という子どもたちによって
何とか穴埋めされるわけですが
それに対して
「ズルイ」とモノ申す人(次女)がいたりします
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気持ちはわからなくもないけれど
だったらどうするの?
自分のことじゃないんだから今は関係なくない?
他によい方法があるのですか?
それを言ってしまったら
身も蓋もないような気がして
口にはしないけれど
それらが私の中には漂い始めるのです
本人なりにも
本当はわかっているのだと思います
だけど
「私はズルいと思う」
そう主張せずにいられないのは
彼女の中に
平等であるべき
自分の行いも報われるべき
が強いからなのかもしれません
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この姿勢は
彼女が自分のお当番を
誰かに変わってもらったとしても
あまり崩れません
(「やってもらってラッキー」ではなく「面白くない」感じ)
本当の本当のところは
私にもうかがい知ることはできませんが
「得したい」よりも
「損したくない」が多くを占めていて
「損するかどうか」が
「平等であるかどうか」に若干支配されているようにも感じます
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このように書き記していて
だんだん胸が苦しくなるのは
まるで昔の自分の姿を見ているようだからです
他人だけが得するのが許せない
自分だけが得をするのもおかしい気がする
やはり平等であるべき
今思うと
極端すぎたし
それによって
色んなことを見張ることになってしまって
とても疲れるし
実は苦しかったのです
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そういう考えもあるかもしれないけど
違う捉え方もあるよ
見方を変えてみて
感じ方が変わることで
自分自身が楽になることもあるよ
私がそうだったように
娘にもそれを実感してもらえるといいなと思っています
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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