私よりもずいぶん昔に生まれ
私よりもずいぶん苦労して
私や子どもたちのことをとても可愛がってくれた祖父が
先日旅立ちました
居て当たり前だった人が この世からいなくなるというのはもちろん寂しいのですが
「寂しい」「悲しい」なんていう言葉では到底追いつかないほどの空虚感の渦に放り込まれたような
その存在は、失ってみて初めて気づく ぽっかりと開いた大きな大きな心の穴のような感じがしています
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私が生まれた瞬間に「おじいちゃん」という役割が始まった祖父は
時にはその役割を担いつつも、そんな枠には収まりきらないような人でした
そして、沢山の「べき」を抱えていた人でした
「長男じゃったら〇〇すべきじゃろ」
「長男の嫁じゃったら△△せないかん」
私の父や義娘にあたる母にそう言って腹を立てているのを何度も見ましたが
父も母もそれに黙って従っているようでした
どう考えても理不尽なことを言っているのに それを黙って受け入れる両親に
何とも言えない寂しさと 納得できない事への小さな怒りを子ども心に感じていましたが
そこで逆らわないことが祖父との関係を保つ唯一の方法だったのではないか
そしてそれは両親にとっては受け入れられる範囲であったのではないか
今はそんな風に思います
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私自身も
「ええ大人が昼まで寝て、ろくなもんじゃない」
「女の子を産んだら、次は男の子を産むべき」
そんな祖父の物言いに
(朝方まで書類作成してたんだよ!)
(そんなのわかんないじゃん!)
喉元まで出かかった口ごたえをグッと飲み込むことも少なくはありませんでした
祖父には祖父の「べき」があって
私には私の「べき」があって
どちらも正解
アンガーマネジメントを学んでいる今ならそう思えますが
当時は常にイライラして なるべく顔を合わせないようにしていたこともありました
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そんな私も転勤をきっかけに、祖父とは帰省した際に顔を合わせる程度になりました
祖父もだんだん歳を取り、次第に食事や排泄が思うようにこなせなくなっていました
世話をする母に対しては相変わらず憎まれ口ばかりでしたが、それもだんだん弱々しいものになっているようでした
そこから数年後に、祖父は祖母と一緒に施設に入ることになり 年に一度顔を見に行く程度になりました
少しずつ色んなことがわからなくなってきていましたが、あるとき 別れ際に
「さよなら」
乱暴にそう言った祖父の目からは涙が溢れていました
寂しかったんだなぁ
「孫なんて可愛いのは10歳までやわい!」
そう言って怒っていたときも
「生きとっても意味はない、さっさとポックリ死んでしまいたい」
そう投げやりに言って怒っていたときも
祖父の怒りの根っこは寂しさでいっぱいだったのかもしれません
もう叶うことはありませんが、そんな怒ってばっかりだった祖父の抱える寂しさに たった一回でも寄り添ってあげられたらよかったなぁと思います
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祖父の最期は
とても穏やかな顔だったそうです
私にとっての祖父は
「おじいちゃんとは穏やかで優しい存在であるべき」をぶっ壊して
上機嫌100%の裏に怒り100%を併せ持ったような人間くさい人でした
怒りん坊の私も間違いなくその血を引き継いでいるわけですが
アンガーマネジメントによってゴキゲンな日々を送り
人生の最期は祖父のような穏やかな顔で迎えたいと思っています
(まだまだ先の話、長生きしまっせ)