「帳尻合わせ」
その言葉が出てきたとき
ある思い出が頭をよぎりました
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小学生の頃の話
たまたま食欲がなかった日に
父と食卓を囲んでいました
大好きな肉じゃがだったけど
何となくあまり食べられなくて
(珍しい)
お皿に残ったグリンピースを
どうしても食べる気になれなくて
(珍しい・2回目)
「グリンピースの代わりにジャガイモ食べる」
何気なく言ったら
「そんなんは代わりにはならんがね!」
父にピシャリと言われて
ムッとしたことを思い出しました
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そう言われれば
確かにそうかもしれないけれど
国語の代わりに算数を勉強するって
言ってるわけでもないのに!
野菜の栄養素を
別の野菜で補って何が悪い!
当時の私は
そんな風にイラっとしたなぁと思い出しました
※当時の父は私にとってはとても怖い存在だったので
口答えもできずひたすらイライラしていました
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昔は威厳の塊のよう(に思えていた存在)だった父も
今ではカワイイおじいちゃんになりましたが
そんな父の理屈っぽい性格は
私の中にもしっかりと根付いていて
そういうのが顔を見せるたびに
父のことを思い出します
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〇〇が△△の代わりになるかどうか
というのは
今の私にとっては重要ではなくて
トータルで何とかなればいいではない?
帳尻を合わせられたらOKでいいんじゃない?
とかく子育ての場面では
そう思うことで救われる場面が多いです
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)

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