自分にとっての「快」とは
具体的にどういう状態なのか
自分なりの感覚だったとしても
それを知っておくことは大切だなと感じます
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それはたとえば
自分の体調が良かったとしても
子どもが何かしらの不調を抱えているのと
子どもの体調が良かったとしても
自分が不調を抱えているのとでは
どちらも平気ではいられないのだけど
少し色合いが違う気がします
私の場合はどちらかというと
前者の方が心が曇りがちで
そこが何とか晴れるように
自分なりにできることを探したり
何もできなかったとしても
それ以上の不安を抱え込まなくていい方法は何かと
思い巡らせているような気がします
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要は
何となく不機嫌であるとか
何となく調子が出ないというのを
「何となく」で放置してしまっていると
そのモヤモヤを抱えたままずっとそこに佇んでしまいがちなので
どこがどんな色合いで曇っているのかを
自分で把握しておくことが
私にとって必要な
「快」へ向かおうとする状態なのだなと思います
一方で
自分も絶好調
子どもたちも心身ともに健康であれば
私にとってはこの上ない「快」の状態なのですが
そこに居るときというのは
そのことをわりと忘れがちです
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ここが良くないというのは
すぐに見つかるし
目につきがちですが
ここが良いというのを
見つけるのがあまり上手でないのは
私自身のクセなのだろうと思います
元気で居てくれている状態は
当たり前ではなくて
実はありがたいこと
不調が続いた後には
すぐに気づくことができるのに
それが少し続くと
つい忘れがちな感覚です
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あちらが出ればこちらが引っ込み
子どもの数だけ
あれこれ色々あって
みんながみんな
元気ハツラツとはいきませんが
「おやすみ」で
一日の頑張りをねぎらい
「おはよう」で
自分なりにスイッチを入れる
そんな毎日の繰り返しです
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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