違うのだ、ということ

- Category - 怒りん坊日記



どうしてこうも違うのだろう 


以前はそれが
「私をイライラさせる原因のひとつ」
でもありました 


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今思えば
「私をイライラさせていた」のは

「相手」ではなく
「自分の価値観である『べき』」なのですが 


そんなことを全く知らなかった
当時の私は
 
「同じように接しているのだから通用するはず」
「理解するべき」 


自分にとってそうではない 

思い通りに動かない
想定内の反応をしない

そんな子どもたちに 
ひたすらイライラしていました 


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最近思うのは 

ひとりひとり違うのだから 
伝わり方が違えば 
受け止め方も違って

そもそも
受け入れてくれるかどうかもわからないのだけど 


さらに 
私自身が 

それに気づくだけではなくて 
それを認めて受け入れることが 
本当の理解に繋がるということに対して 

わかっているようで 
わかっていなかったのかもしれません 


思い返してみると
つい最近のことでさえ

知らず知らずのうちに 
自分に都合のよい方向へと
誘導していたのではないかなということに 

ようやく気づいたのでした


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子どもたちが
転んで自分で立ち上がっていくチャンスを
奪ってはいけない


↑そんな内容の記事を読んだことがありますが


親としては
我が子だからこそ

転びそうなときに手や口を出したくなってしまいます


子どもたちに悲しい思いや辛い思いをして欲しくない

たしかにそれもありますが

本音の本音は
「それを目にするのが私自身苦しい」のだと思います


今ちょうど
つんのめって転びそうな我が子を目の前に
色々な思いが漂ってはいるのですが

私には私の感じ方があるように
子どもには子どもの感じ方があって


それが本人なりの選択なのだとしたら
今はそばで見守っていようと思います


私自身は
そこに必要以上に介入せず
ムダなイライラを侵入させず

サポートが必要であれば
すぐに出動できるように


今はそばで見守っていようと思います
(とはいえちょっとしたジレンマ)




怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント

山本周子(やまもとちかこ)

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