数年前には
気休めも使えなかった言葉が
魔法の言葉のように染み渡ることがあります
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たとえば
「大丈夫」
口にしたいけれど
うかつには口にできない危うさというか
大丈夫と言ってみたはいいものの
大丈夫じゃなかったときどうするんだ
自分の中でそういった
怖れみたいなものがありました
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だけど
そもそも「気休め」とは
その場かぎりの安心。また、当座、人を心配させないようにするための、あてにならない言葉や物事。
ということらしく(Google先生より拝借)
そう考えると
十分「気休め」でいいじゃないかと
自分に掛けて自分で受け取る言葉であれば
そんな感じでもいいんじゃないかと感じたりしています
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私が「気休め」で使いたくなる言葉たちは
責任の所在を明らかにするためではなく
とりあえず「今」落ち着くため
とりあえず「今」呼吸を整えるためのもので
「大丈夫」もそうだし
「何とかなる」とか
「どうにかなる」とか
「どうとでもなる」があって
それ自体も
人によっては色んな解釈があるでしょうけど
自分のために
どういう目的で使うのか
それを自分で承知していれば
それでいいのだろうなと思います
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浅い呼吸に気づいたら
たっぷり息を吸い込んで
自分にとっての「気休め」の言葉を
ゆっくり呟いてみる
しばらくは
こんな風にしてみようと思っています
(夏休み乗り切り案)
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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