もう何十年も経つけれど
未だに私には
ピンとこない感覚です
******************************
実家にいた頃の話
私が高校生の頃
初めてニャンコを飼うことになり
その子は1年くらいしか一緒に暮らせなかったのだけど
「プー」という名前でした
そこからしばらくして
今度はワンコを飼うことになり
「ムー」という名前だったその子は
事故で亡くなるまで2年くらい一緒に過ごしました
時間が流れて
それでもやっぱりワンコと暮らしたくなって
ぷらっと出掛けて行った妹と父が
ぬいぐるみみたいな子犬を抱いて帰ってきたとき
もう私はとっくに大学生になっていましたが
実家に住んでて良かったなと心から思いました
******************************
そのワンコは
私が結婚して娘が生まれて
その娘が小学校高学年になる頃まで
割と元気で長生きしてくれたのですが
ラブラドールだったので
「ラブ」という名前でした(安易?)
女の子だったので
妹と一緒に「さくら」という名前にしよう
ほぼそう決まっていたのに
父がどうしてもイヤだと譲らず
「そんな名前を外ではよう呼ばん!」
そんな言い分だったのですが
私としては
(いやいや、外で「ラブ」と連呼する方がよほど恥ずかしかろう)
なかなか理解しがたい感覚でした
******************************
…というここまでが前置きなのですが(長っ)
恥ずかしさ一つとっても
感じ方が違うのはもちろん
似た種類の感じ方だったとしても
そのポイントやレベル感が違う
だからこそ
色んな価値観があって
時には大変だけど
時には面白い
ということなのだと思います
******************************
結局「ラブ」という名前になったそのワンコと
一番長い時間お散歩をしていたのは父でしたが
よくよく思い出すと
「ラブ!」ではなく
「ラッ!」と呼んでいたような気がするので
ちょっと恥じらいはあったのかもしれません
というのはもう10年以上前の話
だけど
ニャンコやワンコたちと暮らした日々は
それはそれは癒しが大きく
間違いなく
家族円満に一役買ってくれていたと思います
(色々思い出すと懐かしいです)
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
人気ブログランキング