〇〇の芯

- Category - 怒りん坊日記



これは多分
家の中でしか感じないイライラだなと思います


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何の話かというと

「トイレットペーパーの芯を見たとき」

芯を見るということは
ペーパーがなくなっている状態ということなのですが


それを目にしたとき

(…もう!またですか)

少しイラっとしてしまいます


そこには
どういう自分の「べき」があるのかというと

使い切ったら取り替えておくべき
次に使う人のことを考えるべき

そういう「べき」が裏切られたから
私は腹が立ったのだと説明することができます


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これがたとえば
公共の場所であったなら

不思議なことに
全く腹が立ちません

だけど家族には腹が立つのは
なぜなのだろうと考えてみると


家族という
身近な対象であるがゆえに

「これくらいやってくれてもいいよね」
そんな期待や甘えがあるので

それが裏切られたときには
怒りを感じるということです


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そういうときに

(面倒くさいからってワザとスルーしてるに違いない!)

(もしかして気づかなかったのかもしれないなぁ)

今考えられるのは
二通りの解釈なのですが

どちらを選ぶかで
イライラに直結したりしなかったりです


これは自分ではコントロールできないことであるし
「じゃあ自分が取り替える」という行動の一択であるので

後者の感じ方を選んだ方が
ムダにイライラせずにいられます


やることは決まっていて
自分の中でもそれはわかっていることなのだから

怒りを増幅させるような感じ方をあえて選ばないのも
自分にできる選択の一つなのかもしれないなと

あとで振り返ってみると
気づくことができます


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それにしても

(え?またなくなってる)

取り替えるタイミングが
自分のときにかなり頻繁に訪れるような気がするのですが


(たまたまかもしれないな)


とりあえず
そういう感じ方を選んでおこうと思います




怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント

山本周子(やまもとちかこ)

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