これは多分
家の中でしか感じないイライラだなと思います
******************************
何の話かというと
「トイレットペーパーの芯を見たとき」
芯を見るということは
ペーパーがなくなっている状態ということなのですが
それを目にしたとき
(…もう!またですか)
少しイラっとしてしまいます
そこには
どういう自分の「べき」があるのかというと
使い切ったら取り替えておくべき
次に使う人のことを考えるべき
そういう「べき」が裏切られたから
私は腹が立ったのだと説明することができます
******************************
これがたとえば
公共の場所であったなら
不思議なことに
全く腹が立ちません
だけど家族には腹が立つのは
なぜなのだろうと考えてみると
家族という
身近な対象であるがゆえに
「これくらいやってくれてもいいよね」
そんな期待や甘えがあるので
それが裏切られたときには
怒りを感じるということです
******************************
そういうときに
(面倒くさいからってワザとスルーしてるに違いない!)
(もしかして気づかなかったのかもしれないなぁ)
今考えられるのは
二通りの解釈なのですが
どちらを選ぶかで
イライラに直結したりしなかったりです
これは自分ではコントロールできないことであるし
「じゃあ自分が取り替える」という行動の一択であるので
後者の感じ方を選んだ方が
ムダにイライラせずにいられます
やることは決まっていて
自分の中でもそれはわかっていることなのだから
怒りを増幅させるような感じ方をあえて選ばないのも
自分にできる選択の一つなのかもしれないなと
あとで振り返ってみると
気づくことができます
******************************
それにしても
(え?またなくなってる)
取り替えるタイミングが
自分のときにかなり頻繁に訪れるような気がするのですが
(たまたまかもしれないな)
とりあえず
そういう感じ方を選んでおこうと思います
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
人気ブログランキング