そんなもの役に立つの?の裏には
「役に立つべき」があったような気がします
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例えば休日の子どもたちの過ごし方
本を読んでいる姿には何も感じないのに
ゲームをしている姿にはイラっとしてしまうことがありました
この違いって何だろう
実は実は
(どうせなら)将来役立つことをやるべき
があったのでした
ということは、どうやら
本を読むこと→役立ちそう
ゲームをすること→役立ちそうにない
そんな風にジャッジしている自分がいたようです
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今やっていることが将来役立つかどうか
今やっていることが無駄かどうかなんてわかりません
(ましてや自分のことではないのだから)
さらに
他の人にとってはどうでもいいけど
自分が好きでやってることなんて沢山あります
子どもたちにとってそれはゲーム
夫にとってそれはスマホを片手にたたずむ時間
(座ればいいのに、と思ってしまいます)
私にとってそれはラミネートだったりします
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自分にとって大切なものがあるように
他の人にとっても大切なものがあるけれど
それはイコールではない
怒りの原因である自分自身の「べき」はまさにそれだと思います
自分の「べき」とは違う他人の「べき」に遭遇して
それに耳を傾けてみたときに
「へーそうなんだ、それもありかな」
そう思えたとしたら
無駄にイライラしなくなる可能性もあります
(ふーん、そんなこだわりがあるんだねぇ)
(意外にマニアックだな)
そう感じられるようになってからは
ゲームにしろ何にしろ
子どもたちが何かを大切そうに抱えて
それに熱中している姿を見るのは
面白いなぁと感じています
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)