どちらでもいいよ
そう言いつつも
本当の本当はそうではない
自分がいたりします
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相手に決断を委ねるとき
口ではそう言うものの
心中はそうでないことがあって
(特に子どもたちに対して)
完全にフラットな状態は
結構難しいのかもなぁと思いました
それは例えば
お稽古事をやめる
とか
体調不良ではない欠席
とか
「どうする?」
と声を掛けながらも
ついつい
自分の選んで欲しい方へ
寄せていってしまいたくなります
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最近ちょっと感じているのは
表面上は
「あなたに選択を委ねるよ」のテイでいながらも
暗に誘導するくらいなら
「私はこう思うけど」の枕詞があるほうが
よっぽどフェアな気さえしています
私には私のこういう考えがある
子どもには子どもの考え方があるだろう
だけど
子どもには子どもなりに
自分で決められる力があって
親としては
そこを信頼したい
たとえ
小さな小さな決断であっても
その積み重ねを大事に見守ってみよう
そう考えられるようになってから
「自分」と「子どもたち」の在り方を
少し客観的に眺めていられるようになって気がします
(決して毎回ではない)
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結局回り道になって
(ほらね)
と心の中で感じてしまうこともあるけれど
子どもたちを信頼している自分自身を
信じたいという思いもあります
ガッカリしたり
ビックリしたり
ほっこりしたり
ニンマリしたり
子育てとは
山あり谷ありだなと
あらためて感じています
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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