外見は同じような感じでしたが
私にとっての中身は
全く別のものでした
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小学生のの息子が
学校から持ち帰る連絡帳には
毎回親のハンコが必要で
私はチャチャッと「ヤマモト」とサインをするのですが
毎日何かしらの宿題が出ていて
中身まではチェックしないけれど
私「宿題やった?」
子「うんやった」
とりあえずそれを聞いてから
チャチャッとサインしていました
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もうすぐ小学校は運動会があるので
連絡袋に入っているであろうプログラムを探していると
明らかに宿題で出されているであろう
漢字プリントが出てきました
(キレイなのが3枚も!)
ゴロゴロしていた息子を呼び
これはいったい何かとたずねると
苦笑いしたあと
バツが悪そうにモゴモゴ言っていました
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そのときの私にとっては
怒る必要のあることでした
ただ以前と違ったのは
「宿題をやるべき」ではなく
「ウソをつくべきではない」でした
私「宿題やった?」
子「うんやった」
私としては息子の言葉を信用して
そこにサインをしていたものだから
そのことに対して
裏切られたような気がしたのだと思います
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仮に
私「宿題やった?」
子「やってない」
私「いいの?」
子「うん、やらないことにしてる」
だったとしたら
それはそれで納得していて
「宿題をやるべき」は今の私にとっては
裏切られたとしても「怒る必要のないこと」です
きっと「まぁいいか」で
終わっていただろうと思います
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「宿題をやっていなかった」という出来事があって
私は「怒る必要があった」
これまでに何度もあった
シチュエーションですが
自分の中の「べき」
怒った理由はこれまでとは違っていて
その理由を客観的に把握できていれば
機嫌や気分で怒らずに済みそうだな
そんなことを感じた出来事でした
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息子に聞くと
「宿題はやる」と言うので
ベソをかきながらやるのを
しばらく眺めていました
「宿題なんてやってらんねー」
そんなワイルドさはまだ持ち合わせていない
カワイイ小学2年生です
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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