全て理由がある
それもあるかもしれないし
そうではないのかもしれない
ということを考えたりします
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何かしらの結果には
何かしらの原因がある
何かしらの行動には
何かしらの理由がある
それに対しては
もちろんそう思うのですが
ここで言う
「そうではないのかもしれない」というのは
理由はないということではなく
必ずしもそうあろうとしなくてよいのかもしれない
という意味合いです
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自分の中の
感情の揺らぎの理由を知るために
そこをじっくり眺めたり
考えてみることは
ある意味自己理解が深まることに
繋がるかもしれませんが
それを全て同じように
他人にも適用することは
必ずしも良いとは言えないのではないか
そんな風に思います
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自分自身を深掘りしてみると
思いもよらなかった気持ちに触れて
そこから自分の本当に伝えたかったことや
そのためにできることに思いを巡らせることもできますが
それは多分
自分にのみ許されていることであって
自分以外の誰かの気持ちを
勝手にホリホリするのは
あまりにも横暴です
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泣いている我が子の様子を見て
その理由が「なぜか」を知りたいのは
自分のため
それに対して
何かアクションを起こすことで
子どものためとは言いながらも
自己満足していたいだけのことが多い気がします
(あくまでも私の場合)
涙が出るほど〇〇な気持ちなのだな
涙の理由を追求せずに
そんな風に受け取ることができるようになってきたのは
つい最近のことです
(いつもできるわけではないけれど)
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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