「だって」が
鯛の骨のように感じました
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子どもの頃は
お魚を食べるのは骨があって面倒くさいと思っていたけれど
「骨の周りの身が一番美味しい」
大人たちがそんな風に言っていたことが
今なら実感できます
ひと言で「魚の骨」といっても
ししゃもなら尻尾まで一気に食べられるし
骨せんべいならパリパリ食感を楽しめるし
丸ごと食べられるようなものから
飲み込むと危険なものまで様々です
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ちょっとした会話の中で
相手が何気なく口にした「だって」というキーワードが
私には
鯛の骨のように感じました
その「だって」は
耳だけではなく心にもすごく引っかかっていて
(このまま飲み込んだら大変なことになる)
そんな風に感じるほど
なぜか過剰に反応していました
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多分それは
言った相手ではなく
キーワードそのものが
私にとって引っかかるワードだったような気がします
「だって」は言い訳をするときの枕詞
私の中にはそんな思い込みがあって
「言い訳をするべきではない」
という「べき」もあるので
それらが連動して反応するのだと思います
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自分のクセを知るとき
一見「普通」だと思っていたことが
世間の「それ」とは割とかけ離れていることもあって
結構面白いなと感じたりもします
良いとか悪いとかで片づけるのではなく
これもあるけどそれもある
色んな価値観に触れることで
自分の価値観を再度確認することもあります
明日は恵方巻をメインに
何かしらお魚も食べたくなりました
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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