私を「そうらたしめているもの」は
間違いなく
「私の価値観であるな」
そう強く感じた出来事がありました
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「いつまで話してんだ!」
ほんの15分くらいなのに
母が飛んできてそんな風に言われて
(ちょっとくらいええやん!)
毎回不満を抱かずにはいられませんでした
そんな
「長電話するな(と言われる)問題」
これは大人になって携帯を持ち始め
家の電話を使わなくなるまで続いていた気がします
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時代は流れて
もう家電話というものを持たなくなって
それぞれが自分の携帯を持つ
そういう今現在なのに
つい先日
娘が長電話しているのを目の当たりにしたとき
(いつまで話してんだ!)
そんな風に言いたくなっている自分が居ました
時間を有効に使うべき
課題を先に終わらせるべき
早めに寝るべき
色々な「べき」がありそうでしたが
それらを差し置いてのさばっていたのは
(ズルイ!)
でした
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私が子どもの頃の事情なんて
娘の知るところではないし
むしろ
それとは全く関係のないことです
だけど
当時の私が何年にもわたって
口うるさく言われてきた
「電話代がもったいない」
「他から掛かってきたらどうすんの」←まだキャッチホンがなかった頃
「急ぎの用がないのならさっさと切れ」
によって
長電話=悪いことがじわりと刷り込まれているために
素知らぬ顔で
そこを普通に飛び越えてしまう娘に対して感じるのが
(ズルイ!)
だったのかもしれないなと感じました
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自分の価値観というものは
これまでの習慣や
長い年月をかけて刷り込まれてきたもの
自分でも気が付かないくらい
当たり前に握りしめているものであったりするけれど
それは「私の」であって
「家族みんなの」であったり「娘の」ではない
まずはそこを自覚して
開示するなりすり合わせるなり
身近な存在であればあるほど
忘れがちで丁寧に扱っていきたい部分だなと思いました
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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