〇〇していればとりあえず安心
「〇〇」の中身はその時々で変わるにしても
自分の中にずっと潜んでいたセリフのような気がします
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子育ての場面で
それはかなり顕著に表れていて
たとえば
成長曲線の平均的なところをウロウロしていれば安心
とか
テスト期間中はとりあえず机に向かっていれば安心
とか
実際のところ「一体何が安心なのか」
自分でもよくわからないけど
「とりあえず」に頼っているところが
あやふさやを「それで良し」としてしまっています
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これは多分
母の子育て時代にもあったようで
私が子どもの頃
「勉強しろ」とは言われなかったけれど
「ピアノの練習をしろ」と言われることが多く
今考えると
指慣らしの基礎練習だけで
あっという間に30分くらいは経ってしまうのですが
当時課せられていた「30分」は
永遠に終わらないのではないかというくらい長く感じたものでした
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悪知恵が働いていた私は
マンガを読みながら片手ずつ練習して
その時間を稼いでいたりして
母としてはピアノの音がしていたので
それで安心していたのだと思います
もちろんそんな練習法では
上手になるはずもなく
あれは何だったんだ?
今でも思い出すたびに笑ってしまいます
マンガを読むならマンガ
ピアノを弾くならピアノ
その方が効率が良いに決まっているけれど
当時の私としては「画期的なアイデア」とさえ思っていました
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何が言いたいのかというと
こういった
(少なくとも私にとっての)「子育てあるある」は
ときに本質からズレてしまっていたり
(それって本当にいいの?)と疑う余地がたっぷりだったりします
望んでいるのは
成長曲線の平均的なところではなく健やかな成長
大事なのは
机に向かうことではなくそこで何に取り組むか
私の「とりあえず〇〇なら」は
自分自身のことも含めて
見直しが必要なことだらけのような気がします
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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